寄り道(4)上から下へ
Lv2.新薬を求める手
錬金術師ギルドの作業フロアの壁に黒板があり、さまざまな数式や化学式のようなものが書き込まれている。
それにじっと見入っている人物がいた。短い髪の左側頭部に曲線の模様が剃り込んである。場所が場所ならあまり近寄りたくない髪型の一つだ。
声をかけると、振り向きながら突然笑い出した。彼は左目に額帯反射鏡のような道具をつけている。マッドサイエンティストを連想しても、たぶん咎められないと思う。
彼は見ず知らずの私に「聞いてくれ、ついに完成したんだ!」と言った。
「画期的な新薬『エールウィンの薬草トニック』だ。こいつを飲めば、ちょっとした発熱程度ならたちどころに治っちまう…に違いない」
エールウィンの口ぶりではまだ治験を行なっていないのだろう。その新薬をパールレーンで配ってくれと頼まれた。これは気軽に請け負っていいものなのか?
パールレーンはサファイアアベニューの裏通りで、交易商事務所や倉庫などが連なる。荷運び人として働く難民が多く行き来するため、やや治安が悪い場所とされている。
「貧民の顔役をしているランデベルトなら、話が通じるだろう」
暗い目をしていたランデベルト。彼らはこういう役割も負わされているのか。
エールウィンが「もちろん代金なんていらないよ」と言うので、当たり前だろうと言い返したくなる。逆に謝礼金を渡すべきなのでは、と思うがこれは普段の世界での基準だった。国によっては、保険に加入していない人が無料で治療を受ける手段として治験に参加することもあると聞く。
「貧しい人々を救うのは、錬金術師ギルドの使命だからな!」
新薬完成の喜びと、人道的な大義名分をもってエールウィンは自信いっぱいに言う。
「どんな疫病でも治せる新薬を作るのが、僕の夢さ。そしたらみんなが買って、僕はお金持ちになれるだろ?」
純粋で残酷だ。ある程度お金があって衛生的に暮らせる人たちには病いは起こりにくい。文化や生活環境で差があるだろうけれど、気温に合わせて快適に暮らし、栄養のあるものを食べて十分に眠れていれば、あまり疾病は寄ってこないと思う。
薬草トニックを受け取って、最上層から降りパールレーンへ向かった。
陽射しのある時間帯で、以前に立ち寄った時よりもいくらか安全そうに見える。
積まれた荷の前で「廃棄物が増えた」と羽ペンを動かしている人たちは革製の上衣に作業手袋、鼻口を布で覆っている。
地面に座ったり、横になったりしている人たちはみんな薄着で粗末な格好だ。物乞いをする気力のある者はまだましな方なのかもしれない。座り込んで項垂れ、言葉を発する力も失せている者、身体を横たえて痛みを口にする者を見るとそう思う。
モモディのところで見かけた取立屋らしき男に似たララフェル族が、今度は安く使える労働者を探していた。それを横目に見つつ、視界の端にランデベルトがいたので近づいた。やはり視線を地面に落として、積んだ材木に腰掛けている。
「何、エールウィンから薬の差し入れだって?」
気色ばむ様子もなく意外なほど穏やかだった。私は茶色の薬瓶を手渡した。
「すまねェな、助かるよ…。これで、熱病で苦しむ仲間たちを救うことができる」
このあたりの顔役というだけあって、仲間思いな人物のようだ。錬金術師ギルドの良心は信用していないが、実験体だろうとなんだろうと仲間の苦しみを除けるのであればそれでよしとするしかないと考えているに違いない。
「俺たち貧民に、薬を選ぶ権利なんてねぇのさ」
やるせない気分になるが、ここではそれを呑み込む他なかった。
Lv2.パールレーンの掘り出し物
ランデベルトは「こんな場所まで薬を届けてくれた礼だ」と言って、古めかしい陶器を持たせてくれた。
貧民だと卑下するのに、律儀すぎんか…。私はまたやるせない気持ちになってしまう。
この陶器は、パールレーンにやってきた流民が質草として食料と交換に持ち込んだ物らしい。見てくれは悪くても、もしかしたら値がつくかもしれないということだった。ランデベルトが気を遣ってくれた通りに売れたら、そのお金で何か食べ物でも差し入れたいが、ランデベルトは再び「早く消えな」と言って取り付く島もなくなった。
サファイアアベニュー国際市場のシントゴートに、ヒビのはいった古めかしい陶器を見てもらった。期待はしていなかったが、やはりガラクタとの鑑定だった。
「貧民どもにはたいそう貴重なもんかもしれないが、サファイアアベニュー国際市場じゃあゴミクズ同然だぜ?」
一縷の望みも持たなかったかと言えば嘘になる。それはランデベルトの気遣いが報われてほしいというような類の感情だ。こういう機微は、生存するだけでも厳しい世界では邪魔なのかもしれない。
「アンタももう少しモノを見る目ってもんを養わねぇと、生き馬の目を抜くウルダハじゃ、やっていけねぇぜ」
いつの間にか陽は傾き、あたりの影が深くなっている。